町田平和委員会ブログ。

もし8.15で終わっていなかったら、 九州南部、関東への連合軍上陸で、数百万人が死亡したかも知れない! 「オリンピック作戦」「コロネット作戦」についての 町田平和委員会のブログだよ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

「茅ヶ崎のアメリカ軍」 の目次

 おくればせながら、茅ヶ崎市史の現代2、「茅ヶ崎のアメリカ軍」 の目次です。

全部で5章。全378ページ。各章の冒頭に解説がある。

第一章=p。11~92.の全体を占めるのが、
「参謀研究 コロネット作戦(翻訳文)」

第一章のタイトルは
「アメリカ軍の関東侵攻計画」

これは、本文(p.11~32)と付属文書合計8点(p.33 ~92)か

らなる。

付属文書の1は作戦指令

同2aは、本州東京(関東)平野への作戦に関する参謀第2部

敵情予測

同3b(1)aは、部隊編成

同3b(3)(d)Iは、航空部隊(Yデー15日)

同3b(3)(d)IIは、航空部隊(Yデー60日)

3b(4)は、作戦所要

3b(4)(a)5は、陸上基地発進航空支援

3b(5)(b)は、目標地域および調整ライン、を扱っている。

第2章 「本土決戦」と相模湾

一.相模湾の防衛
 2.大本営の情勢判断
 3.第53軍司令官赤柴八重蔵日記・昭和20年
 4.第53軍関係者の証言 青木香氏他5名
 5.前線指揮官の証言 本田喜久氏

二.茅ヶ崎の人々
 6.本土決戦時の住民避難計画
 7.市民の証言 浜田テイ氏

第3章 進駐軍の展開(p.163~ 202)

一.第1騎兵師団の関東進駐
 8.第1騎兵師団占領日誌 (翻訳文)

二.第11空挺師団の湘南進駐
 9.第511パラシュート歩兵連隊沿革 (翻訳文)
 10.第188パラシュート歩兵連隊作戦レポート (翻訳文)

第4章 茅ヶ崎のアメリカ軍 (p.203~ 272)

一.第78工兵大隊の茅ヶ崎進駐
 11.第78工兵大隊沿革 (翻訳文)
 12.第78工兵大隊占領沿革 (翻訳文)
 13.第78工兵大隊医療部沿革 (翻訳文)
 14.進駐兵士の証言 ルイス・ハイマン氏

二.南湖院の戦車隊
 15.第95軽戦車中隊沿革 I (翻訳文)
 16.第95軽戦車中隊沿革 II (翻訳文)
 17.第95軽戦車中隊報告書 (翻訳文)
 18.第71重戦車大隊沿革 (翻訳文)
 19.第71重戦車大隊朝鮮戦争日誌 (翻訳文)
 20.日本人勤務者の証言 久保田長咲氏

第5章 演習場問題と市民(略=p.273 ~363)


スポンサーサイト
  1. 2006/10/31(火) 22:23:05|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

1945年9月8日午前8時、東京に向けて原町田を出発した


1945年9月8日午前8時、歴史に残る自動車縦隊が、その目的地である東京に向けて原町田を出発した。

(茅ヶ崎市史の現代2、「茅ヶ崎のアメリカ軍」 )

 同書164ページの解説によれば、
 「(1945年8月30日に)厚木基地に着陸したマッカーサー元帥と前後して、占領軍本体の第1陣、第11空挺師団の兵員を乗せたC-54型輸送機約60機が、同基地に厚木飛行場に車輪を降ろした。

 「(同師団は直ちに、平塚以西を除く)神奈川県下各地に展開した。」

 「マッカーサーのペット」と呼ばれていた第1騎兵師団(第8郡所属)は、
「1945年9月3日、横浜に上陸、直ちに原町田に入り、5日後(8日)、東京に進駐、師団司令部を開設した。」(以上、解説より)

(以下、第1騎兵師団占領日誌より)

 「1945年9月8日午前8時、歴史に残る自動車縦隊が、その目的地である東京に向けて原町田を出発した。

 第1騎兵師団師団長ウィリアム・C・チェースWilliam C. Chase少将が率いるこの縦隊には、戦争のクライマックスに師団管下の全部隊が参加できるよう、各部隊から一名ずつの古参兵が入っていた。

 八王子、府中、調布を通過し、東京市域に入ったところで、自動車部隊は一旦停車した。

 チェース少将は東京市域への境界線を越えた。
 これによって、アメリカ陸軍は正式に東京に入ったことになり、"ファースト・チーム”の記録にもうひとつの"ファースト”が付け加わったのである。

 少将に続いて入城したオクラホマ州オタワ郡フェアーランドのポール・デイヴィス Paul Davis上等兵は、正式に東京に第1歩を印した最初の兵士となる栄誉をになった。
 これにより同上等兵は、東京に足を踏み入れた最初の郷土出身兵士として、故郷の外地勤務退役軍人会から1,000ドルの賞金を授与された。
 デイヴィス上等兵は、第12騎兵連隊"D”中隊の隊員であった。」
(以上、第1騎兵師団占領日誌p.166より。適当に改行し、読点を加えた。)

 「コロネット作戦」では、東京攻略のシナリオとして、
「茅ヶ崎に上陸した部隊は、相模川沿いに厚木、淵野辺周辺まで北上し、多摩川の渡河地点を確保した上で3つに別れる 一つは横浜占領部隊。原町田付近から東に道をとり横浜に進行し、」とある。

 作戦計画の「原町田付近から東に道をとり横浜に進行」が実際は、
日本の降伏=同作戦の中止によって、逆コース(横浜に上陸、直ちに原町田に入り)となり、さらに原町田から「八王子、府中、調布を通過し、東京市域に入った」わけだ。

 とはいえ、当初の作戦計画の、「3つに別れる」真ん中のコースをたどり、23区へと展開したことになる。

 この第1騎兵師団占領日誌には、もし日本の残存部隊が上陸後の米軍部隊に攻撃をしかけたならば、相当の犠牲を米軍側にもたらしただろう、とのべている。

 ところが、実際はほとんどそうした抵抗はなかった。
 日本軍武装解除に続き、武器弾薬の摘発などが続くが、少なくとも、1947年の新憲法がうたった「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という九条の中身が、形作られて、それが自衛隊(およびその前身)発足まで続いていくことになる。

同作戦に関連して、とりあえず町田関連の部分を拾いました。(つづく)



  1. 2006/10/29(日) 18:23:40|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

千葉の上陸作戦について

2006/10/18(Wed) 16:55

「ある通信兵のおはなし」というブログには
米軍の無線交信を受信しながらの練習が上達の早道でもありますので、通信軍曹は率先して練習をしていました。

「ある通信兵のおはなしそのとき「Colonet=コロネット」の単語がしばしば出てきました。
和訳担当兵が受信した電文を翻訳すると、「Colonet」以外は暗号文で翻訳することはできないとのことでしたが、「コロネット」とは、昔の婦人帽の羽根飾りのことで、羽根が周囲から真ん中に向かって垂れ下がるような形であるとのこと。
いずれにしても、暗号文の中にこのような単語が出てくるということは、「羽根飾り」は重要なキ-ポイントであると想定されました。
http://ohanashi.okigunnji.com/backnumber/te51.htm
とあるのは、
Coronet(馬のひづめの上部)蹄冠の間違いではないか。

また、千葉県の上陸作戦については
千葉県平和・戦争展連絡会ニュース第11号  2003年9月30日
(千葉県平和・戦争展連絡会事務局)に
ブラックリスト作戦+キャンパス作戦として
1945年7月に、日本の抵抗力・抗戦力の急激な低下に気づいたアメリカは、平和的に日本降伏をめざす「ブラックリスト」作戦を採用した。このブラックリスト作戦では、海兵隊1個と陸軍1個師団を、東京湾の第1次上陸地点・付近の飛行場の制圧作戦に投入することになっていた。これは厚木飛行場と木更津飛行場の制圧を意味していた。
とある。
homepage3.nifty.com/sensouten-tiba/

平塚の特別展 44万7,716本の軌跡-平塚の空襲と戦災
では空母艦載機による平塚空襲、市内の戦跡
などを扱っている。
http://hirahaku.jp/hakubutsukan_archive/rekisi/00000057/nomap.html


  1. 2006/10/22(日) 20:13:08|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

オリンピック作戦について

2006/10/16(Mon) 17:05

オリンピック作戦について

九州侵攻であるオリンピック作戦は、1945年11月1日に予定されたX-Dayで始められることになっていた。連合軍の統合海軍艦隊は、空母42隻、戦艦24隻、駆逐艦および護衛駆逐艦400隻をふくむ、史上最大規模の参加となる予定だった。
北朝鮮の最近の国際世論無視の姿勢が、アジア=太平洋戦争末期の大日本帝国の状態とよく似ていると言われる。何しろ、ヒットラー=ドイツの降伏後、日本は全世界を相手に、まったく展望のない戦争を続けていたのであり、今日の北朝鮮は、現時点で戦争をおこしてはいないものの、全世界から孤立して、一人「抗米」を強調しているのだから。
「帝国海軍は有効な戦闘力として存続していなかった。(1945年)8月までに、海軍はどれ一つ満足に給油されない、わずか6隻の空母、4隻の駆逐艦、1隻の戦艦を持っているだけだった。」
Operation Downfall Information From Answers_com.htmより
一方、北朝鮮は訓練起用のガソリンもなく、パイロットが木製の操縦席で訓練している、という。
なお、オリンピック作戦の地図を、
http://www.answers.com/topic/operation-olympic-jpg
コロネット作戦の地図を
http://www.answers.com/topic/operation-coronet-jpg
から見ることができる。
諜報部は次第に、日本人は彼らのもつすべての航空機を“神風”に投入するつもりだ、とわかった。
Lyle E. Seeman大佐は、X-Dayまでに少なくとも7発の原爆が使用できるだろう、と報告した。彼は、原爆投下地点は少なくとも48時間は立ち入るな、と警告した。
統合参謀本部の立案者たちは、九州以外を犠牲にして日本側がどれだけの兵力を九州に集中できるかに留意しつつ、四国や本州北部--仙台や大湊-などのという代案箇所-、もしくは準備的な侵攻をとばして直接東京をめざすことを考慮した。本州北部への攻撃は、より防御の弱い点で優位があったが、沖縄からの航空支援(B29を除く)をあきらめるという代償がついた。
<ノルマンディー上陸との比較>
ノルマンディー戦役では最初の48日間に63,000人の死傷者が出た。
沖縄戦では、およそ82日間で、18,900人の死亡および行方不明をふくむ72,000人の死傷者を出した。
第2次大戦全体を通じ、合衆国は百万人以上の死傷者を出し、400,000を失った。

http://www.answers.com/topic/operation-downfallより


  1. 2006/10/22(日) 20:12:10|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

米太平洋陸軍、同太平洋艦隊、同陸軍戦略空軍の作戦行動の調整

(茅ヶ崎市史の現代2、「茅ヶ崎のアメリカ軍」
つづき--アメリカは米と打ち込んだ)

米太平洋陸軍、同太平洋艦隊、同陸軍戦略空軍の作戦行動の調整
(25ページ)

航空部隊の調整、として
”コロネット”の実施に先立ち、またその期間中
米太平洋陸軍総司令官、同太平洋艦隊司令長官、同陸軍戦略空軍総司令官の指揮・統制下にある航空部隊の全般的調整に適用される、として

a
Yデー8日前以前および米太平洋艦隊航空母艦が目標攻撃発起位置に達する以前

●当期間中の高速機動部隊の主任務は、敵の海・航空軍および沿岸目標物を壊滅することであり、西部太平洋の海上連絡線を防護し、他の部隊を支援することである。

 この部隊は次のライン---新潟--喜多方--郡山--平--枚方を通過する鉄道ライン-(以下、調整ラインという--付属文書A(b)5(b)を参照)---の
北側および東側で、極東空軍または米陸軍戦略空軍の戦闘用航空機がその任務をうまく達成できなかった場合、敵航空機および飛行場施設の破壊に関して第一義的任務を負うものとされる。

(以上、引用。なお、付図では、状態はともかくとして、相当数の飛行場が掲載されている)

「敵の海・航空軍および沿岸目標物を壊滅する」
新潟--喜多方--郡山--平--枚方を通過する鉄道ラインの北側および東側で「敵航空機および飛行場施設の破壊に関して第一義的任務を負う」

相模湾からの艦砲射撃に呼応して、軍事施設に徹底的打撃を加え、関東平野に上陸した部隊への日本軍の反撃力をそぎ落としつつ、茅ヶ崎などから上陸する。そういうシナリオだったわけだ。

「戦争に負けたのだから米軍基地があるのは仕方が無い」という意見をよく聞く。
しかし、沖縄同様、またドイツと同じように、上陸につづく徹底的な
「目標物壊滅」が本土で起きたとしたら、
「負けた」という意味の捉え方も、全くことなるものとなったのは容易に想像されるのではないだろうか。
もちろん、反米ナショナリズムの方向で、などというのではない。

そしてその場合、戦力放棄をうたった9条にたいする捉え方も、より徹底的なものとなる可能性もあっただろう。
少なくとも、「南方」の占領地での懐メロを歌う居酒屋--というシーンは、相当減少したかもしれない。身近な(戦地でない)犠牲を臣民が見ることによって、帝国軍隊への、見方も変わらざるを得なかっただろうから。

本土で、 ”コロネット”作戦のYデー(だけ)に投入される予定だった
542,320人の(米)兵員、
74,315台の車両、
717,108トン(積載重量)
が実戦に使用されることなく、
双方に犠牲が出ることなく8月15日を迎えたことは、その限りでは、本当によかったと思う。
(つづく)

  1. 2006/10/22(日) 20:11:22|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

「茅ヶ崎のアメリカ軍」つづき

茅ヶ崎市史の現代2、「茅ヶ崎のアメリカ軍」によれば、
「茅ヶ崎に上陸した部隊は、相模川沿いに厚木、淵野辺周辺まで北上し、多摩川の渡河地点を確保した上で3つに別れる。」という部分について、
 茅ヶ崎上陸の第8軍の任務として

「g。多摩川の渡河地点を奪取し、確保すること。機甲部隊を積極的に内陸部へ進撃させ、熊谷-古川地域を奪取すること。敵の関東平野への増援移動を封鎖して、敵の後方を途絶すること。東京へ向けて機甲部隊の南下準備をすること。」とあり、
それに続けて、

h。北方および東方に前進して、横浜を奪取し、東京の奪取を支援し、敵軍を壊滅すること」と続きます。
 ですから、必ずしも「多摩川の渡河地点を確保した上で3つに別れる。」というコースではないようです。
 とはいえ、この同市の訪米しての調査や聞き取りなどの成果を、何とかネット上で読む事ができるよう、願って止みません。

いずれにせよ、1946年3月1日のYデーに先立つこと
「20日前頃、相模湾および上陸地点の港湾防衛施設に艦砲射撃が開始され」
「4日前頃、機雷掃海作戦が開始され」
Yデーから
「遭遇した敵軍をいかなる場合も撃滅すること」が指令されていた訳です。

 余談ですが、アメリカが、靖国参拝が日中、日韓関係を悪化させただけでなく、日米関係、米国のアジアにおける利害・影響力を損なう、座視できないものとみなして、新政権に針路変更を要請したとき、アメリカ政府の(とりわけ靖国参拝をヒトラーの墓参りだとのべた)一部に、かつての日本軍国主義の末期の症状と、今日の北朝鮮のそれとの比較・連想がなかった、とは断言できない、と思います。
 それほど、この 「コロネット作戦」立案・準備段階における日本の為政者の人命無視の発想と、北朝鮮の政権のそれとに、恐ろしいほどの共通性が見られてなりません。
 そして、その精神を律した「教育勅語」を褒め称えた青年政治家が、いまや日本国総理となり「美しい国」を唱えています。
「コロネット作戦」を顧みることは、そういう意味でも意義があるのではないか、と考えています。



  1. 2006/10/22(日) 20:10:02|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

「コロネット作戦」-原町田付近から東に道をとり横浜に


最近、終戦前後の茅ヶ崎と横須賀に関する本を手に入れた。順次紹介していきたいと思います。

一冊は「占領下の横須賀--連合国軍の上陸とその時代」。
茅ヶ崎関係は市史の現代2、茅ヶ崎のアメリカ軍など市史3冊とブックレット「コロネット作戦」など。

この「コロネット作戦」が行われれば、沖縄の10万もの民間人死傷者に、少なくとも数倍する犠牲が出ていたのは間違いあるまい。

 町田関連のものが一点あった。
東京攻略のシナリオ、として、
「茅ヶ崎に上陸した部隊は、相模川沿いに厚木、淵野辺周辺まで北上し、多摩川の渡河地点を確保した上で3つに別れる。(この辺の記述は簡単すぎてよく分らない)
 一つは横浜占領部隊。原町田付近から東に道をとり横浜に進行し、」とある。
 尾根緑道(旧戦車道路)が首都防衛の第3次ラインだとものの本にあったが、その直前で横浜目指す計画もあった。。



  1. 2006/10/18(水) 20:38:42|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

日本国憲法第9条。


 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


  1. 2006/10/16(月) 23:58:31|
  2. 未分類|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント(-)

| ホーム |

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。